スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

雪洞閑話 其の二 「大田垣蓮月尼」



ある日、京都漫歩していて時代がかった掛軸がウィンドーに飾ってあるのに驚き、
入った店内に近世書画がたくさん掛けられた光景を見て更に驚き、
教科書の図版でしか見た事の無い画家の作品を間近に見て腰を抜かしました。
今まで自分には全く無縁だと思い込んでいた「古書画の世界」に出会ってしまったのです。


育った家には床の間があり軸も掛かっていましたが、それは黴臭い古びた日常でしかなく、
わが街には書画屋の一軒も無く古書画に出会える機会は皆無でした。
しかし、京町屋の敷居をまたいで飛び込んだその世界は、
今まで観た事も無い興奮に満ちた、自分にとっては新しく瑞々しいものでした。


歩き回ると洛中には100年、200年前に書かれたものがごろごろしており、
知識が無いのを幸いに、書画屋の主人に何でも聞きまくりました。


これは誰の書ですか?あれは何を描いているのでしょう?
この印は何と読むのですか?これは誰の弟子ですか?
そして、これに関する資料本はあるのでしょうか?


無知な者でも時間が経てば見えてくるものがあるようです。
好きな時代、好きな書、好きな書きぶり、好きな画家、好きな表具と。
又偶然観てしまったもので興味が広がり、図書館へ行き調べものをする。
その繰り返しで、蓮月、碧梧桐、八九子、良寛、蕪村、芭蕉、大雅、玉堂などを
観賞する楽しみを人生の喜びとすることができたのです。


最初に出会ったのは「蓮月」さん。


寺町通り漫歩のある日、古書店の飾り窓の中で細くのびやかな書の線が私を呼んでいました。
そこに書かれた和歌を読める訳も無いのですが仮名の「の」だけは分かりました。
その「の」は、バネのように力を含んだ素敵な造形で、
時代を超えて目に飛び込んで来る清心な魅力に溢れていました。
その文字をポケットに入れて持ち帰りたかったぐらいです。


店に入ってあれは誰の書ですか?と聞くと
「大田垣蓮月尼」との答え。
尼さん?いつごろの?
「幕末から明治、この人の字は一番読みやすいねえ」と店番のおばあさん。
歌の読みを聞くとこれ又その文字と同じく、すっきりと分かりやすい抒情に満ちていました。
嬉しいものと出会ったと思ったのです。


短冊には「八十四歳 蓮月」と署名がありましたが、その文字は高齢な尼僧の衰えを感じさせず、
筆のゆらぎも震えも無く、心地よい曲線がのびやかに春の気分を歌っていたのです。
この人は、佳人だったろうかなどと想像しながら、古き美しい書をひたすら見つめていました。
濃い墨の細くぴりっとした彼女の書を間近に観ていると
100年以上前の文人と会話出来る書画のタイムトンネルを潜った気分になりました。


古いものを身近に感じながら、今を生きる事の楽しさを知ったのです。

rengetsu.jpg


「うかれきて花のの露にねむる也 こはたがゆめのこてふなるらん」八十四 蓮月


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。